文化情報 ~ヨルイチ

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ヨルイチとは

ヨルイチのスローガンは「渋谷がまだ村だったころ、五日市は町だった」。五日市と言えば緑と水、渓谷の玄関口として各地から訪問客を迎える観光地のイメージが強いですが、かつては檜原で採れるスギやヒノキを江戸へと運ぶことで栄えた五日市街道の宿場でもあります。そんな五日市の地域資源である「市」を再現することで、地域の活性化を図ろうと2003年にスタートしたのがヨルイチです。

五日市を愛する地域の人たちの手で作り上げられていったこの催事も、映画『五日市物語』にもその模様が登場するなど、多くの人に知られるようになり、一晩におよそ3万人もの人々が詰めかける夏の風物詩となりました。

夏の夜を彩る市の数々

ヨルイチとは 「和」「静」「暗」「スロー」「古」をテーマに100年前の街の雰囲気を再現するべく、当日の檜原街道は街の灯が消され、赤い布行燈にてらされた市が並びます。その数70あまり。氷屋さんの絶品カキ氷、お肉屋さんのコロッケ、お米屋さんのおむすびなど、街道沿いの飲食店がそれぞれ趣向を凝らしたヨルイチオリジナルメニューを店頭で販売します。

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また、履物屋さんは下駄に花緒をつける実演、呉服店では琴のほか和太鼓の演奏などの歴史のある町らしい催しを始め、天然温泉の足湯やミニライブ、コンサート……と夕涼みをしながら楽しめるイベントが盛りだくさん。主な会場となる武蔵五日市駅前から子生神社まで、1.8kmの街道は無料のヨルイチバスや人力車(500円)で移動することもできます。

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グルメあり歌あり、踊りあり。夏の終わりの週末、夜風に吹かれながら灯のともる街道を歩いてみるのはいかがでしょう?

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五日市

この地この名は、戦国末の北条支配期に地名が始まり、1574年に「五日市」の名称が文書に表れています。

「市」は江戸時代に入り山方(檜原・養沢)の焼き出す炭の取引市として発達しました。はじめは、里方(買い手)と直接取引きを行いましたが、場所を貸していた村のお百姓さんが自ら売り買いを始め、商人に変っていきました。
また、山方で焼いた炭は主に馬で五日市まで運ばれ、街道沿いには「馬宿」も数軒ありました。
こうして「市」の町として軒を連ね、幾多の変遷を経て現在は「五日市町」から「あきる野市」になり、「水と緑」の観光玄関口となっています。

 

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